この野球場は2011年3月11日発生した東日本大震災の影響で
仮設住宅等復興支援に使用されるとの事です。
その為、当面の間は野球場としての使用予定は有りません
石巻市ホームページより

球場シリーズ その石 石巻野球場(水押球場)

球場入り口

古くから仙台藩の港町として栄え、その後も新港建設で日本有数の漁港・商工業港として発展した
石巻市中心部、石巻駅より北に1キロ程離れた河川敷の中に開かれた野球場です( ´ フ`)。
駅からは比較的近いもののバス等は無く、住宅地のすぐ裏にある為道にも迷いやすいという
まあこの手の小さな球場では良く有る事ですが、少々使いづらい野球場です。

( ゚ プ)が現役の頃はここで公式戦をやる事も有り、多少親しみは有るのですが
まずこんな所に球場が。という感じの道中でありました。
この間紹介した石巻市民球場は、北上川を挟んで対岸にあります。

今回はたまたま石巻市民球場での試合を観戦した帰り道に久々に水押が見たくなり
ちょいくら行ってみました。

同じく河川敷にある球場としては、仙台市の評定河原球場が一番親しみ深い( ゚ プ)なのですが、
あそこは内野スタンドを土手盛りで作ってあり、観戦もそこそこしやすい球場でした。
しかしこの球場は一塁側が堤防、三塁側と外野の裏がすぐ住宅地で、
観戦するにはあまりにも狭い球場でしたが、今回行ってみると何やらまだまだ手入れがしっかりされていて驚きました。
どうやら草野球や学童野球などでは未だ現役なようですな。

ではでは、紹介を始めましょう。

ここまで見て頂いてわかる通り、かなり不真面目に纏めているので
申し訳ありませんがしっかりした球場紹介を見たい方は石巻市を参照願います。
# はつひだファンクラブはフィクションでできてます( ´ フ`)

以下、この野球場の歴史をつらつらと語り始め、冗長になってしまった為、
直ぐ野球場について見たい方はこちらへ

駄文

この球場は「石巻野球界の父」と呼ばれる毛利理惣治氏の寄付により開場した球場です。
まあ歴史について詳しい方は「毛利理惣治」一発でピンと来た事かと存じます。
「毛利理惣治」と言えば、幕末戊辰の役、東北戦争において仙台まで逃げてきた榎本らに
補給を行ったりなんだりした、まあ仙台藩士として有名な方で、毛利家の住宅やらなにやら
ちょっとマニアックですが観光地というかなんというか(りゃ
んで彼の残した幕末資料がこれまた色々凄いらしくてからす組の旗やらなにやら(りゃ
ってか石巻の博物館これ一つでおったつんじゃねぇかと思ったり(りゃ
まあ、その辺は( ゚ プ)は余り詳しくなくて、既にボロが出ているのでこの辺でやめないと
ますます恥を(りゃ

まあ、その毛利理惣治さんの息子さんが毛利理惣治さんという方で、彼が野球大好きで
野球場の土地を譲ったり、日本で二番めのクラブチームと言われる日和野球倶楽部を作ったり、
まあ、そんなこんなで出来たそうです。

んで余談ですが、その毛利理惣治さんの息子さんが毛利理惣治さんと言う方で(りゃ
ってか、「理惣治」ってのは代々継がれた名前なんでしょうな。紅久みたいなもんで。
って、ここで一つウソっこさついているのですが、最初に言った毛利理惣治さんの息子さんの毛利理惣治さんの
息子さんが毛利理惣治さんと言いましたが、流石にもう時代が時代ですので名前は継いでおらず、
最初に言った毛利理惣治さんの息子さんの毛利理惣治さんの息子さんは毛利総七郎さんと言う方で、
この方が貝塚の発掘やら何やらで大人気。出土品等を纏めた「毛利コレクション」等は有名ですな。
昔は研究者なら言えば貸してくれたり、なかなか太っ腹。
当時の方々は普通見つけたもんは全部ほまずしちゃうのが普通だったからねぇ。
そう言えば広義の「毛利コレクション」と言えば、幕末資料も含まれたりするらしいよ。
まあ纏めると、
最初に言った毛利理惣治さん→幕末に名前が出てくる人
最初に言った毛利理惣治さんの息子の毛利理惣治さん→野球好き
最初に言った毛利理惣治さんの息子の毛利理惣治さんの息子の毛利総七郎さん→貝塚発掘とか民俗学の人
と言った所でしょうか。

因みに、この辺は( ゚ プ)全然詳しくないので、もしかしたら最初に言った毛利理惣治さんが
結構長生きして野球好きになってたり、最初に言った毛利理惣治さんが晩婚で
最初に言った毛利理惣治さんの息子が毛利総七郎さんだったり、
最初に言った毛利理惣治さんの息子さんが陰薄くて最初に言った毛利理惣治さんの息子の毛利理惣治さんの息子が
毛利総七郎さんなのは間違えないけど野球好きだったのは最初に言った毛利理惣治さんだったり、
最初に言った毛利理惣治さんの親父さんが実は幕末有名な毛利理惣治さんだったりする可能性も無きにしも非ず。
さらに毛利総七郎さんが戦前は毛利理惣治を名乗っていて、んで野球好きになったりしている可能性も無きにしも非ず。
(まあまだ総七郎氏が24、5で貝塚発掘に一生懸命だった頃にもう野球界に理惣治の名前が有るので、それは無いか)

( ´ フ`)=3 たまにはキーボードを沢山打つ練習しないとなまっちゃうからね
ここまで真面目に読んでいた人ごめんなさい。

さて、そういう理由でこの野球場には毛利理惣治さんの胸像とともにこの野球場の由来が書いてあったり、
毛利理惣治さんは趣味が高じてスポーツ用品店モウリヤをやってたりするんですが、
スコアボードにスポンサーとして「モウリヤ」と広告があったり、
もう語り始めるとね。アレでコレでソレなんですわ。
と、言う訳でキーボードの練習はここまで

野球場紹介

先述の通り、住宅地と河岸堤防にはさまれた構造なので(勿論両方後から出来たのでしょうけど)
バックスタンド以外の観戦施設はありません(応援団は藪の中で応援してましたがw)
球場設備は、近年(10年程度前か?)改修された模様でそれまでは無かったダッグアウトや
FRP独立椅子(背もたれ無し)等が設置されています。
スタンド最上段に上がって見回すとこんな感じ(枠付きはクリックで拡大)

三塁側バックスクリーン一塁側

左右見ると、ダッグアウト裏付近は普通に応援席になりそうですね。
昔はもっと草むらで、試合前に応援団が草むしりしてましたけどw

また、トイレ等きれいになっていますね。
あとバックスタンド最前列は記録員等が使う千葉公園球場でも見かけるような小屋ですな。

こちらがスタンドの椅子

下から椅子 上から椅子

そして最上段から後ろを見ると、北上川の揚々と〜♪といった感じの流れが。
うーむ。北上川( ´ フ`)

北上川

スコアボードは看板式で12回迄。SBO、HEFc付きの上、看板式の選手名、審判(塁審のみ)と、
DH非対応なものの(当たり前か)かなり本格的なもの。(まあもうサビサビで見る陰も有りませんが)
野球にかける情熱がうかがわれますな。プロ野球を開催したり、市の運動会などもここでやっていたとか。
あとも一つ有名な所だと、昭和初期に早稲田・慶応を呼んで早慶戦やったりしたらしいですな。
理惣治氏はどんだけ野球好きだったんだw
また、このスコアボードは恐らくこの球場を寄付した毛利氏のご子孫辺りが寄付したのでしょうか、
「モウリヤ」と広告があります。

スコアボード

また、バックネット裏には毛利理惣治氏の胸像が有り、恐らくこれらの改修後設置されたのでしょうな。
「平成5年 毛利翁顕彰会」とあります。

胸像

グラウンドは内野は土、外野は草です。いや、芝なのか?
まあ手入れもしてませんし芝ってよりも、草が生えてるだけなのでしょうかね。
自分が立った時は草でした。

と、言う訳で野球場案内ってより、なんかキーボードの練習になってしまった水押球場案内。
語りたい事や、突っ込みたい所は沢山あれど既に支離滅裂でお怒りを買っていると思うのでここまで。

※ ここまでつらつら語ってた事は適当に書いただけなので、フィクションだと思って読んで下さい。
資料とかそんなの一切見ずに昔父に聞いた話しをもとに適当に書いただけですので。

あと、余談ですが女子トイレはどこなんだろう?多分無い

データ

両翼 91m
中堅 118m

以上、石巻市より

内野 土
外野 草

ナイター設備 無し

観戦設備
内野スタンド500人弱
内野土手席多少

交通

自家用車利用
三陸自動車道石巻河南I.C.、又は国道45号線蛇田交差点(石巻工業高校前)を東に
石巻大橋、石巻駅、中里方面へ(石巻バイパス)
石巻市民球場に行く場合の二つ前の交差点(中里付近)を左折(北へ)
ランドマークは七十七銀行を右手に(石巻郵便局方面)見て左折。
水押付近の堤防土手に当たったら右折してすぐに左折(ほぼUターン)
最近この辺やたら工事してるので今は右折・左折不可かも。(この辺に水押球場の案内看板が)
あとは住宅地の中を進むのだけど、小さな看板を見落とさないように。ってかナビ必須かも。
分かりづらかったら石巻市民球場に向かうつもりで開北橋方面へ向かい、住吉中学校方面へ左折
どっちにしろわかりづらくて説明しづらいのでご自分で地図を見てご判断下さい。
駐車場は60台駐車可。
くれぐれも近所のみやぎ生協などに車を止めて歩いたりしないようにお願いします。

公共交通機関利用
JR仙石線・石巻線 石巻駅から徒歩20分
(直線距離で1キロ)


はつひだファンクラブ野球課へ


('09 11/02 作成 '11 07/31地震津波関連更新)